【なぜ、どうして 1】「あける」と「しめる」
- aosakishizuku
- 2014年12月9日
- 読了時間: 2分
※たぶん、シリーズ化する予定、です。(笑)
ちなみに、私は旅行歴は浅い方なので、 経験が偏った話になりやすいことを付け加えておきます。 むしろ、大先輩がた、こんなところもあるよ〜とか、 そういうのばかりではないよ〜という意見も歓迎なのです。
アイルランドでエレベーターに乗った時のこと。 ふだんあるはずの、「あける」「しめる」のボタン。 そこには、しめるのボタンがありませんでした。 どうやって閉めるのか?と不安になり、私は無意識のうちに、 一つしかない「あける」のボタンであろうボタン(何も書いていない)を 必死に連打していました。
あまりに閉まらないので、正直、壊れたのかとも思いました。そんなまさか。 もうどうにでもなれと、押すのを止めた3秒後、扉が閉まったのです。
そのとき、変なことが、自分の中でおきました。 「はて、ではなんで閉めるボタンが必要だったのだろう。 ・・閉まるまでの時間さえも惜しいと感じてるのだろうか?」
頭の中の思考がこうも付け加えた。 「だって、早く閉めないといけないじゃない。 みんなのためにも。はやく。」
・・・・みんなのために?はやく?
だれのことだろう? 私? それともエレベーターに一緒に乗っている人たちのこと? なんとも言えない感覚が私を襲った。
そんなことがあったのにもかかわらず、 ヨーロッパでのった各地の電車のドアには別の仕掛けがあった。 内側と外側、両方に「あける」ボタンがあった。 日本でも一部の地域で見られるけれど、 電車の外側にある「あける」ボタンは正直、見たことがなかった。 一度ドアが閉まっても、発車する直前でも、 ボタンを押すことができれば、乗車、下車することができる。
こうしてドアのボタンのつき具合一つをとっても、 何を大事にしているのかが、全く違って見えた。
しめるボタンがあることによって、 私たちの時間は実際に増えているのだろうか。 なにに急かされているのだろうか・・。
その時、ふと疑問に感じたのです。
雫
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